2024.01.09 | 健康コラム
AEDを用いた心肺蘇生法
通所介護施設に来られる方の中には、身体はほぼ健常でもメンタル面が不調な方もいらっしゃいます。
何らかの原因によって情緒不安定に陥ってしまうのです。
先日こんな出来事がありました。
私が入所のお迎えでご自宅に到着するまではいつもの通り、特に変わった様子はない。
ところが、いざ送迎車にお乗せしようと玄関を出ようとした時に、外出することを強固に拒否し始めた。
ご家族が外出を拒む方の気持ちを、何とかしてなだめようとしている。
だけど頑固な姿勢は変わらない。遂にご機嫌を損ねて猛ダッシュ。
マンションの前から突然逃げるように走り出してしまったのです。
私はその様子をただ見過ごし、口をアングリと開けて見送ってはいけない。そう直感的に思った。
そして先ずはその方に追い付いて、落ち着かせるべきだと判断した。
そこで、すぐさま後を追い掛けて引き止めた。
そして気持ちをなだめようと試みました。
だけど、その方は完全に自分の世界に入り込んでおり、再び猪突猛進の如く走り出してしまったのです。
私が追い掛けたことが裏目に出てしまったのか?
神経を逆なでしてしまって、我を通したい気持ちをエスカレートさせてしまったのかもしれません。
ご家族が肩を落としながら「あのようになってしまったら、好きにさせておくしかないんです・・・。」とポツリ。
同様の出来事が、何度か繰り返されていたそうです。
結局その助言通り、後ろ姿を見送るしかなかったのです。
その後の顛末はどうなったのか・・・。心配で仕方なかった。
幸いにもその方は警察に保護されて、無事ご自宅に戻られたそうです。
その方の容態・症状や行動の“癖”のようなことは、事前に知らされてはいなかった。
とはいえ、自分の取った行動に間違いはなかったのか?
的確に判断し行動したのだろうか?と振り返ってみた。
片側1車線の四つ角をまっしぐらに突入して行く。
その様子はまさに冷汗もの。
そしてもしもあの時、車に撥ねられてしまったら・・・。
当然怪我を負って、最悪命を落とすことになってしまう。
何としても車との衝突を回避するために、立ち止まらせるべきだったのです。
もしも事故が起きてしなったら、被害者は痛ましい。
だけど車をぶつけてしまった運転手側も悲劇です。
日本の道路交通法では歩行者が最優先。
運転手側の責任が必ず問われて、軽微であっても過失があったと捉えられる建て付けになっているように思う。
要するにいくら模範的に運転ルールを守っていても、
運転手の安全運転義務違反の区分の「前方不注意」が適用されるでしょう。
事故が発生する前の経緯がどうあってもです。
そうなったら、ドライバーが被る精神的ダメージは深刻です。
行政処分や経済的制裁等だけでは済まされません。
事故の瞬間がフラッシュバックして、トラウマに苛まれてしまうかもしれません。悲惨ですよね。
今回のようなケースでは、傷を負う側と負わせてしまった側の双方が、それ相応に等しく救われなければならないのです。
だから両者を慮った行動を取ったのです。
スポーツ中の不可抗力によって引き起こされる心停止。
AEDは、被害者加害者の区別なく、両者を最大の窮地から救い出すための高度管理医療機器です。
このAEDの機能を活かすスキルを身に付けましょう。
そしてAEDに負けない、自分自身の存在価値を高めるのです。
本コラムのロングバージョンはこちらから(SOily健康わくわくサイト)