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2024.05.17 | 健康コラム

若者達が将来、不健康な嗜好にハマらないようにしたい

学校の教職員や医師等を呼ぶ時に、名字のあとに「先生」を付けますよね。
自分が教えを受けている人への敬称です。

みなさんは「先生」と呼ばれると得意に思いますか?
意気揚々とまでは行きませんが、誇らしい気持ちになりますか?

世の中のあらゆる課題に対して、万能に、そして完璧に対処できる人なんていません。
出来ないことの手解きからレベルを向上させる指導を、必ず自分以外の人から受けている。
だから、身の回りの人はみんな先生なのです。

どんな事でもなかなか上手くいきません。
初めての挑戦ならば尚更です。
そんな時は先生役にノウハウを教わります。
気が進まないトレーニングや稽古、学習等せざるを得ない時がある。
物事を嫌だと思っていると、もっと嫌で仕方なくなって来る。
結局うまくいかないままなのです。

けど少しずつ技量が増し、自分が満足できる域に達することができたのは、自分を導いてくれた人がいたから。
テクニックだけではない。
同じ訓練を続ける意味が伝授され、その後の生き方にも反映させることに貢献してくれた指導者。
そんな人に対してなら、心から「先生」を付けたいと思う。

あの制服を着て学校に通いたい!
自分にとって価値ある制服へのあこがれ。
もちろんその想いは大切にして欲しい。
実現すれば本人だけでなく、家族もうれしいですよね。

私は自由な校風で高校生活を送ることができた。
思い思いの私服で通学していました。
常識の範囲内で。当時バイク通学も許されました。
全校生徒が参加する新入生と先輩との対面式。
生徒会が主導で、「何か言いたい事があったら、みんなの前に出て来てくれないか!」と生徒会長が促した。
私はこの学校で高校生活を送る中で、たいせつにしたい誇りのような思いを訴えました。
当時起こした行動のひとつひとつは、若かりし頃の納得と自信に因るものが大半だった。
居ても立っても居られない気持ちに揺り動かされた結果だったと思う。
今思うと単なるうぬぼれだったのかもしれません。
けど全く後悔していません。
そんな高校時代を過ごした私としては、あれやこれやと腑に落ちないルール浸けには、正直言って苛立たしさを覚えてしまう時がある。
始末に負えない、初老の理屈屋なのでしょうか・・・。(笑)

あれはダメ、これもダメと、腑に落ちない条件を付けるのは如何なものでしょうか?
しかも現代に全くマッチしない校則だったら、生徒たちは呆れてしまうだろうし、変な疲れに苛まれるでしょう。
昭和,平成,令和と社会情勢や気運、感覚や考え方等は激変しています。
世代に関係なく、同じ感覚で物事に対処するのは難しい。
だから、校則を生徒たちが決めるルールメイキングを取り入れている学校が増えています。

未成年者が将来不健康な嗜好にハマらないように、大人が社会環境に配慮しなければなりません。
そのためには若者たちの心情を理解しなければならないと思うのです。

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