column 健康コラム

2025.01.27 | 健康コラム

鍋料理の魅力

危険運転の要件見直しが検討されている。
過失運転致死傷と危険運転致死傷の訴因に深く関わっている。
時代の移り変わりによる社会的歪みが、そうさせているのだろう。
『過失』と『故意』の境界線が曖昧なためでもある。
呼気に含まれるアルコール値や車の走行速度の目安が、
どう規定されるのか注目したい。

特に高齢者ドライバーは、その場での認知能力が正常範囲にあったのか否か?
事故が起きた時、重要な原因究明の手掛かりとなる。
だから、より慎重に改訂の成り行きを見届け、承知しなければならない。

運転ハンドルを握った人は誰であろうと、様々な状況判断が要求される。
そして責任が課せられます。
ドライバー同士が安全に、しかも気持ちよく運行することが望まれる。
だから道を譲り譲られる気遣いを心得るべきです。

概して高齢者ドライバーは、道を譲るということに疎いのか?
否、譲る余裕がないと言った方がよいのかもしれません。
残念なことに、「あれッ!? どうして??」とか「ちょっと待って頂戴よ!」等、
厄介な場面に遭遇することがある。

例えば、一方通行ではない狭い路地を、車同士がすれ違う場面。
対向車とその周辺の状況を認識する。
すると、こちらが道を譲って上げた方が、
スムーズにすれ違うことができると思われる場合があります。
そんな時は対向車のドライバーに何らかの合図を送って対処します。
「お先にどうぞ。」の気持ちで、こちらが少し路肩に寄って先に進むように促します。
その逆、対向車に少し幅寄せしてもらった方が、
円滑にパスすることができるケースもある。
けど相手が高齢者だと、状況はどうあれ、やみくもにこちらに迫って来る。
後続車がいれば、バックもできなくなって、
二進も三進も行かなくなってしまうのです。

結局無理な運転操作と分かっていても、自らのリスクを背負い、
相手に無理のない安全運転のお膳立てをしてあげなければならないのです。
どう考えてもこちらが停車していた方が得策なケースであっても。

そんな苦境を脱したのは良いが、道を譲ってもらったと気が付くこともない。
そう推察してしまう様子で、さっさと通り過ぎてしまうのです。
だから、お先にどうぞと道を譲ってもらったお礼の合図もない。
自分の頭の中が、とにかく車を前に進めることだけに支配されている。
周りの状況を判断する認知脳力が欠如しているのかもしれません。

手を上げる。ヘッドライトをパッシングする。
プッとクラクションを鳴らす等は、ドライバーの間でのコミュニケーションを取る粋な手段と言ってよい。
このような感謝の表現は、道を譲った方も気持ちがイイ。
ほんの一瞬だけでも穏やかで安心した境地に立って、目的地に向かうことができます。
但し、合図が感謝の気持ちの表われだと分かっていなければ、どうしようもありません。
好意的な意思表示のはずが、相手に不快な気持ちにさせてしまっては本末転倒。
真意を正確に、しかも分かり易く相手に伝えること。
正直なところ、ちょっと気を遣ってしまいます。

上述したような高齢者ドライバーに限って、高齢者マーク(正式名:高齢運転者標識)を車体に貼り付けていません。
努力義務とはいえ、事故の原因となり兼ねないイライラを抑えるためにも、たいせつな印です。
周囲のドライバーに対するさりげない合図と言ってもよい。

その点、調理中の食材から立ち上る「けむり」や「湯気」、漂う「におい」等はどうでしょうか?
空腹を満たしたくなる、食欲のスイッチが入るトリガーだとはっきり分かりますよね。
五感がくすぐられることは、健康的な食生活・一家だんらんの時間が始まる合図になります。

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