2025.02.17 | 健康コラム
怖いのは感覚が麻痺すること

前回、私の記憶に残るスポーツ名シーンをお伝えしました。
 実はあれから浮き立つ気持ちが納まっていないのです。
 今回もどうかお付き合い下さいませ。
1964年東京オリンピックのリアルな記憶は乏しい。
 おぼろげながら、遠藤幸雄さんの体操個人総合優勝と、重量挙げの三宅義信さんの金メダルを獲得したこと位でしょうか。
 マラソン1位のアベベ・ビキラさんや2位ベイジル・ヒートリーさん、そして3位に入った円谷幸吉さんの力走。
 更に東洋の魔女等が活躍した場面は、当時テレビ中継されていたでしょう。
 だけど残念ながら、実際にこの目で観た記憶がありません。
その点、ミュンヘンオリンピックは思い出のシーンがたくさんあります。
 先日お知らせした体操競技だけではありません。
 松平監督率いる男子バレーボールのブルガリア戦の、絶体絶命からの大逆転劇。
 そして旧東ドイツに勝利して金メダルを獲得したシーン。
 腰を痛めていたエースの横田選手が泣きじゃくっていましたね。
 大古選手が跳び跳ねて喜んでいた。
 大男たちの中では小柄な名セッター猫田選手。
 前出のブルガリア戦と東ドイツ戦。
 サイドアウトでサーブ権を取り、試合最後のサーブを打ったのは、両試合とも猫田選手でしたね。
冬季オリンピックも思い出のシーン、てんこ盛りですよね。
 札幌オリンピックのアイドルと言えば、フィギュアスケートのジャネット・リンさん。
 尻もちをついちゃったけど、競技会場に留まらず、お茶の間にもあどけなさを振り撒いてくれました。
 90m級ジャンプで金メダルを期待された笠谷選手。
 横風にあおられ前傾姿勢を崩し、飛距離を延ばすことができなかった。
 一番くやしいと思ったのは笠谷さん自身。
 その寡黙な表情から、当時小学生だった私にも悔しさが伝わって来ました。
だけど、70m級での金銀銅の表彰台独占は、夢中になりました。
 金野さん、青地さん、笠谷さん、有り難う。
 それから26年後、長野オリンピックスキージャンプ団体戦では、
 笠谷選手の教え子でもある原田選手が、名誉挽回の大ジャンプを見せてくれました。
 悪天候の中、ただ一人も転倒することなく、そのお膳立てを完遂してくれたテストジャンパーたち。
 陰の立役者ですね。
 団体金メダルを獲得した選手、そして彼らを支えたスタッフの結束力は賞賛に値します。
バルセロナオリンピックの鈴木大地さん。
 やってくれました!バサロスタート!!
 決勝レースでは余計にバタついてくれました。(笑)
 その夜、下北沢の居酒屋で友人と「バサロ」で盛り上がり、
 我らも鈴木選手に負けず劣らず、余計にジョッキを空けてしまいました。
 柔道男子、古賀稔彦さんの金メダル獲得となるか否か?決勝戦最後の判定の場面。
 その審判を待つあの表情に心を奪われてしまいました。
 練習中に古賀選手の左膝に怪我を負わせてしまった同僚の吉田選手が、誰よりも一番喜んでいたのかもしれません。
 余談ですが、とある空港の出発ロビーで、古賀選手をお見掛けしたことがあります。
 その胸板の厚さに驚きましたね。
滅多に無い場面だから、実況アナウンサーも力が入る。
 ベルリンオリンピックの『前畑頑張れ! 前畑頑張れ!!』から始まって、
 アテネオリンピックの『伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!』等、高揚感を掻き立てる名セリフ(?)です。
この様な筋書きの無いドラマ、そうはお目にかかれない場面。
 だから記憶にしっかり残ります。
 物事に対する好き嫌いはともかく、慣れてしまうと無関心になりがちです。
 怖いのは感覚が麻痺することだ。
 たばこの臭いに慣れてしまう環境には、絶対に居たくありません。
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